初夏のうららかさを感じよう

教育実習の思い出(1)

朝大に進学し3年生になると、「〇〇実習」と言う社会体験をする。 政治経済は組織実習。 工学部は工場実習。 そして文学、歴史地理、外国語、理学、師範学部は教育実習に出向く。 今は時代の流れなのか、主に自分の出身校に行くが、我々の時代は基本的に地方の学校に赴いた。

1981年10月の終わりに、かく言う私も大阪朝高に決まった。 それなりの緊張感と楽しみに胸を膨らませて大阪の地を踏んだ。

約3週間の期間に「先生もどき」を経験し、学生達のキラキラした瞳と「선생니〜ㅁ」と言う甘い言葉(学生達からすると、見飽きたいつもの先生より、若くて初々しい大学生が魅力的に見えるだけの事なのだが…)卒業後、先生を希望させると言う姑息な手段?にコロリと騙され、夢よもう一度と甘い誘惑に乗る人間が続々と出る。 大学側のほくそ笑む思惑に乗らされ先生製造は完成を迎える…(考えすぎか)

私が配置されたのは高級部2年1組。 大体は大学生の責任者が1組を担当するのに、何故か責任者は2組に。 後で分かった事だが、この2年1組と言うのは非常にまとまりの無いクラスで、当時の大阪朝高でも指折りの問題クラス。 その組を責任者に任せるのは忍びないと言う事で、白羽の矢が俺に来たと言う事らしい… あんまりだ〜

でも最初の1週間は、なぜか高3の進路講習に行かされ、実際は2週間目からクラスに入った。 ちょっと話は逸れるが、登校してくる女学生たちを遠目で見た時、とても違和感を感じた。

「なんかおかしくねぇか?」

原因はチマの長さだった。 何故か大阪はチマが短い。 ひどい子は膝頭の上までしかない。 膝下が当たり前の感覚からすると、滑稽と言うか幼く見えた。 なぜ短いか、それは謎だ…。

さて本題に戻ろう。 月曜日の朝、担任の高先生が「ソンセンニン(と、一応呼んでくれます)ビックリしたらダメですよ」と言いながら、階段を上り3階の1番端の教室の引き戸を開けた。

「え…⁈」

40人のクラスの半分も来ていない。 この当時は当たり前と言えばそうだが、実習生が来ると知ってるのに、この集まりとは先が思いやられる。 自己紹介をしても拍手はパラパラ。

教室を出しなに背後から聞こえた声が一層悲しくさせる。

「お前ら실습が来る日くらいはよ来いや」多分班長。
「실습なんて関係あれへんし。アホちゃう?」

悲しい…

続く

4 COMMENTS

どこの学校のソンセンニン?

実習に行って、学生になめられちゃった話ですか?
この後、しっかりヤキを入れて帰って来たんですよね~ 当然ですよね👍
♬なめたら~あ か ん~♬って
で、卒業後は先生になったんですか? その辺が気になるなぁ👀

次が気になる。

高校生、生意気そーう💦
ハッピーエンドになりますように…。

俺は社会実習だった

理想と現実…。
その道に入らないとわからないよねーー

蝉しぐれ

조대でも、スカートが長い東京と短い大阪と2派閥に別れた。
後輩達は…
ジャージの上を羽織れば、私服に見えて、スカートが短い方が遊びに行きやすかったかららしい!

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