梅雨明けから本格的な夏へ

【探訪】浅川伯教・巧 兄弟資料館

3連休の初日、渋滞の中央高速道路を下って、山梨方面に向かう。ちょっと遅めの出発だったので、都会を離れ涼を求めて避暑地へと向かうマイカーの渋滞にはまってしまった。

上野原まではノロノロの渋滞、そこを抜け出してスムーズになったと思ったら今度は工事渋滞で、3時間ほどのロスだ。 まあ急ぐ旅でもないので、 途中の須玉ICで降り、清里方面へと車を走らせた。

国道141号線を北上すると、小さな看板が目に入った。看板の下に韓国語でこう書いてあったのだ。아사카와 노리타카・다쿠미 형제 자료관 。 山梨県生まれの兄弟だと聞いていたが、ここに資料館があることを忘れていた。 信号を左折し、この兄弟が生まれ、幼少期を過ごした高根町へと向かう。

「浅川伯教のりたかたくみ 兄弟資料館」は、植民地時代の朝鮮と日本を繋いだ日本人二人の功績をみることができる資料館だ。

植民地時代、小学校の教員として朝鮮に渡り、朝鮮白磁に魅せられた浅川伯教あさかわ のりたかは、朝鮮半島の窯跡約700カ所を独力で尋ね歩き、膨大な数の陶器のかけらを拾い集める。

そして35年もの年月をかけて、採集した陶器片から製作時期や場所だけでなく、当時の政治情勢や大陸の影響までを読み取り、朝鮮の陶磁器の歴史を体系づけた人だ。

その弟である浅川匠あさかわ たくみは林業試験場に勤めながら、養苗の試験調査を担当し、当時難しいとされていたチョウセンカラマツの養苗に成功する。

当時の朝鮮は、日本が持ち込んだ地籍法により、多くの土地が持ち主不在と認定され、没収の後に日本政府に好意的な朝鮮人や、日本からの移民に次々と下げ渡されてしまった。新しく地主となった人々は土地に執着がなく、すぐさま木を伐採して、売り払ってしまう。

朝鮮半島は固い岩盤の地であり、そこに薄い表土が覆っているだけであった。禿山となった朝鮮の山々はたちまち保水力を失い洪水を起こしてしまうのであった。

これに心を痛めた巧は「朝鮮松の露天埋蔵発芽促進法」を考案し、朝鮮の山々の四割を復元したと言われている。

また浅川匠は、陶磁器だけでなく、朝鮮の工芸品にも関心を寄せる。日常の生活道具である膳に注目し、デザインや木材、塗料などの視点からまとめた「朝鮮の膳」や、朝鮮器物の正しい名称と用途を記した「朝鮮陶磁名考」を残した。 

この資料館は、白磁を初めとして、朝鮮の美に見せられた兄弟の思いが詰まっている。多くの資料と書籍が展示されていて、資料館が制作した浅川伯教・巧を紹介する、各7分間のビデオも鑑賞することができる。

近年はこの兄弟を主人公とした映画も記憶に新しいと思う。

ここ、北杜市出身の二人の日本人が、朝鮮の陶磁器や文化を愛した気持ちが、現在の日本と韓国の文化交流を結んでいます。

日本による植民地時代、“負の36年間”を叫ぶ韓国人がいる中でも、朝鮮の文化や歴史を愛し、その文化を体系化して保存し、この世に朝鮮の陶磁器の素晴らしさを伝えたのも、また日本人であるということを私たちは決して忘れてはならない。

もし、近くにお寄りの際は、立ち寄ってみてください。

2 COMMENTS

いつの時代も…

知らないことが多すぎる‼️

本を読んだことある「朝鮮の土になる」?だっけ?

渋滞にはまって、偶然に見つけたわけじゃないですよね👀
初めからここを目的に出かけたんでしょう?
あまりにも詳しく施設を紹介してくれるので、てっきり施設関係の方と思った👀💦
しかし、素晴らしい方々が日本にも居たんですね💕
まぁ~隣の国だから関係性は深いですよね👀 他にも大勢いたと思いますよ👀

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