初夏のうららかさを感じよう

介護のジカン―姑編㉗

施設に入って数年が経ち、姑も父のように言葉を忘れた。そして徐々に行動も忘れ、ついには食べることさえ忘れてしまった。持病はすべて治り血圧も血糖値も高いままだったが、終盤は何のストレスも感じないで自由に生きていた。

施設から「あと3日ぐらいでしょう」と告げられた。延命療法は望まなかった。姑はベッドで眠り続けている。心臓は動いているがほかの臓器が停止してしまっていて、むくんだ腕や足の毛穴から浸出液が流れ出る。タオルを巻いてもすぐに濡れてしまう。巻いては替えての繰り返しだが、姑が目を開けることはない。…その後も二度と目を開くことはなかった。

医師が時刻を告げる。姑の身体をきれいに拭いて록의홍상を着せる。姑が生前に指定していた衣装である。髪をとかしてピンクの口紅をさす。「ハンメ、きれいだよ。やっとハルベに会えるね。もう、ゆっくり休んでね」

姑、享年87歳。涙は出ない。実母の時も父親の時も涙は出なかった。ただ、誰かを送るたびに心の中にぽっかりと穴が開いた。本当に悲しい時は涙が出ないというけれど、それは事実だと思う。

父親や姑と過ごした10数年間に私は気づいた。年を取ったら赤ちゃんに戻るというけど、それは違うと私は思う。人間はボケても感情があり、プライドがあり、何よりも人生という歴史がある。そして、それをちゃんと認めてあげることが介護なのだ。

「あの時、ああしてあげればよかった。こうすればよかった」と、今更ながら自分の冷たさに呆れ笑いをする。後悔先に立たずである。

私の介護のジカンがまた止まった。今度動き出す時は夫の介護か、私自身が介護される時なのかしら。そう考えると、今のこの瞬間を存分に大切に生きないと罰が当たるような気がしてならない。

4 COMMENTS

匿名と言う名の匿名

「人間はボケても感情があり、プライドがあり、何より人生と言う歴史がある。それをちゃんと認めてあげるのが介護なのだ」
本当にそうだと思います。介護の時は大変だったけど、亡くなったらポッカリと心に穴が空く…
今も介護の時間の中で奮闘してる同級生達に大きな励みと力になったと思います。おつかれ様でした。

お疲れ様でした。

本当にお疲れ様でした。
私は、親の介護はしたことがないので、気のきいたコメントが出来なくてすみません。
長い間、本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい。この言葉で、投稿者さんの労いができたら幸いです。

匿名

お疲れ様でした。

私も認知症の姑を6年ほど介護しましたが、投稿者さんは壮絶な『介護の時間』…でしたね。
投稿者さんの気持ち、少し分かります。
どんなに一生懸命介護しても、亡くなったあとは悔いが残るものみたいですね。
介護すると言う事は、きれい事ではないから本当に色んなことが思い出されます。
あの世でハルベと仲良くしてるといいですね。
ウチの姑は享年83でしたが、シアボシは50歳で亡くなっているので…
あの世でちゃんと見つけられて一緒にいる事を願うばかりです^ ^

本当にお疲れ様でした。

作者

書いているのは事実だけど、そんなに壮絶ではなかったかな。あまり深く考えないたちなので。でも自分は優しくないから、介護には向いてないってつくづく思いました(笑)
だからもっと優しくなれって神様が機会を与えてくれたのかな?
温かい言葉をありがとう。
今はおもいっきり弾けてます!

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