10月は秋の気配

写真で見る在日⑫-4・24教育闘争

祖国の解放から3年後の1948年1月、文部省はアメリカ軍の指導の下、朝鮮人子弟を日本人学校に就学させるよう各都道府県知事に民族学校の強制閉鎖を命じた。

教育の強要に反対するデモ(1947年山口)

同胞たちはこれに対して、山口県や阪神地区など全国で反対運動を繰り広げた。

兵庫県庁になだれ込む同胞(1948年4月)
兵庫県庁内で座り込む同胞たち(1948年4月)
兵庫県知事室に窓から侵入(1948年4月)

4月24日、大阪の反対闘争に続いて生徒や教師、父母など1万5千名が兵庫県庁近くの公園に集まり、うち数百名が県庁に突入し閉鎖命令を撤回させた。

4.24教育闘争1周年記念大会
神戸での同胞釈放要求デモ(1950年11月)

あわてた連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥は第8軍司令官アイケルバーガー中将に指令し、抗議行動を「暴動」として全国に非常事態宣言を交付、武力で運動を鎮圧した。結果、同胞の1700名あまりが逮捕され、そのうち136名が軍事裁判にかけられた。これがいわゆる「阪神教育闘争」である。

50数年前の葉書の写真はマッカーサーや、アイケルバーガーにあてた子どもたちの手紙だ。神戸はもちろん大阪や山口、東京など各地から出されている。

どれもが拘束された先生や同胞の釈放を願う文面である。

3 COMMENTS

拡声器~

ものすごいパワーですね~😟
このような先輩たちの、血を見るような闘争の結果が、今のウリハッキョですもんね~👍 ありがたや~
私も若い頃、何度も日比谷野外音楽堂でデモに参加しました😊 プラカードを持って、大声で叫びましたね~😆 今では「無償化」のことで後輩たちがデモしてますよね~ 歴史は綿々と受け継がれる~💦 なんたって在日ですもんね~

過去の歴史は忘れちゃだめだよ

こうみると昔も今も、状況は一向に変わらずですね。

🌱

結構色々変わっていると思いますが。
いっこうに変わらない人や政策もありますが、昔のままではないでしょう。
かなり進歩的に理解を示す人も団体も増えているし、そうでなければ総連や活動を続けている人達が浮かばれないし。
歴史を忘れてはいけないし、写真等の資料を残している方々に敬意を表しますが、こだわり過ぎず、希望の苗を植えたい🌱

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