プラモデルの思い出

幼い頃の私にとって、とても小いさな財産だったのがプラモデルだった。確か초급학교低学年の頃だとおもうが、我が家に居候してたオジさんが買ってくれたのがその始まり。

それは、米軍自走砲のロングトムだった。でもパーツの多さと組立て説明文の複雑さから殆ど他力本願だった。出来栄えはセメダインがはみ出まくりヒドい有様だったと記憶している。でも、人の手を借りたにも関わらずどうにか完成させた不思議な達成感があった。入りが軍事モノだった事と当時の戦争映画ブームもあったせいか自然と戦車模型にハマって行った。

次の模型はよく憶えている。自分のお年玉で買ったからだ。ソ連軍の戦車ジューコフ(SU100)だ。そこから私はタミヤの奴隷となっていく。毎年のお年玉がタミヤ模型に注ぎ込まれたのだ。35分の1シリーズでソ連のT34やスターリン戦車、それからドイツ軍の二号、三号、四号戦車、パンター、ティーガー、ケイニヒスティーガー、ヤークトパンターにヤークトティーガーと続き米軍のM4シャーマンにバッファロー…その制作を煽ったのはプラカラーの色塗りだ。ジオラマモドキでしかないが、映画や従軍写真を参考に再現宜しく塗りまくったもんだ。

それに同時並行するかのようにニチモの72分の1シリーズ(主に航空機)も手掛けたから模型作りは殆ど二重搾取状態だったかも知れない。なぜなのか全く分からないがゼロ戦、疾風、飛燕、紫電改など日帝のを多数作ったような。P51、グラマン、メッサーシュミット、フォッケウルフ、ドルニエ、ハリケーン、B17 等等も作った。おまけに戦艦模型(多分ハセガワ)にも手を出した。800分の1スケールで、パーツの接着にピンセットを駆使したりしてかなり根気を要した作業だった。「好きこそモノの上手なり」を実践してた訳だし究極の自己満足だった。大和やエンタープライズ、Uボート…まだ続く。ソ連兵、ドイツ兵、米兵、日本兵に至るまでで歩兵、砲兵…まだあるがこの辺にしとこう。ジープやシュビムワーゲンの周りに人型模型を配置して一人楽しんでいたから傍から見れば不気味だったに違いない。それらも全てプラカラーで仕上げてたから狂人の域だったかな?

でもコレクションを無作為に増やした訳ではなかった。当時作ったモノを残してたなら住居がプラモ屋敷になってしまってただろう。でも、そうはならなかった。自らの手で古い順から燃やしたり、爆竹で破壊したりした。戦艦に至っては完成一時間後に燃やしてしまった。出来栄えが気に入らないとかではない。飾れないし、しまえないからかも知れない。言わば葬式を出すが如く。思い出すと惜しい気分になるのも事実。写真でも撮っておけば良かったと心底悔やまれる。

模型制作をピタッと辞めたのは중급부3학년の時だ。その時、残っていたのは32分の1のスピットファイア(英軍戦闘機)と輸入ミニチュアキッドのインディアンと騎兵隊、中世の砦と兵士数百体だった。それも数年後に近所の後輩に全てあげちゃったので現存してるモノはゼロだ。模型制作を何故辞めたのかはこれと言って理由が見いだせないし、なので説明できない。

その時代の 平均的?우리 중학교 남학생が進む必然の道だったのだろうか。坊主頭に剃り込みを入れ学ランのカラーを高くし、タバコを吸い、外ではケンカと忙しくてプラモデルへの意欲は自然消滅していったとしか思えない。模型制作の終わりは、成長過程の私にとっての最初の断捨離だったのかな、と今改めて想う。

でも今でも作った模型の数々、自ら壊したその時の事が記憶に留まってるのが不思議だ。

近々、値段に囚われる事なく大きな何かしらのプラモデル(帆船?)を一つ渾身を込めて作ってみたいと目論んでいる今日この頃だ。

9 COMMENTS

S

やっと出た〜!プラモデル熱中症(笑)
こういう少年時代過ごした男子、結構いるんじゃないかな?(^^)
実は私もその中の一人です。(笑)

♪お小遣い貯めては、プラモデル!
♪お年玉=電動戦車(^^)プラモデル!
♪空瓶回収=駄菓子屋プラモデル!
♪お金がない時は、廃品部品寄せ集めの自作(創作)プラモデル。。。(笑)

年がら年中、一生懸命夢中で何かを作っていましたね〜。(^^)
でも、(やはり)出来上がると直ぐ壊しちゃう。(笑)似てますね。これって、時代背景が同じだったからかな?(^^)
プラモデルは、物作りの面白さと楽しさを教えてくれた私の原点だった気がしますね。(^^)
楽しい投稿、ありがとう❣️😊メッチャ、共感した。(笑)

苦い思い出

プラモデルは私もハマりましたよ。
ただプラモに関わる思い出はとても苦いのです。お年玉で買ったドイツ軍の戦車ロンメル。完成した時の喜びは今でも覚えていますが後に悲しい出来事が訪れる。
ある時ほろ酔い加減で帰宅したアボジが作り立ての戦車で遊んでいると「戦争で人を殺す様な戦車なんか作るな!」と怒鳴られたんですよ。
黙って聞いてれば良かったのに「この模型が人を殺すわけじゃないでしょ!」と喋り終わる前に強烈なビンタ。苦い思い出でした。

S

(笑)何で?同じ事が?私にも。。。(^^)
プラモ以外、ラジカセ破壊!ギター真っ二つ!壁に貼ったポスタービリビリ!(笑)これ以上は、ノーコメント。(笑)思い出すと何か?可笑しい。(笑)
★昔、小学生3から6年生まで(私)静岡に住んでいたことがありまして、静岡市内です。家の左隣が田宮の下請け工場。そして、向かいの道路を挟んで右側数軒のところにも田宮の下請け工場がありました。静岡ってまるで”田宮王国”。左隣の工場、低い塀際にドラム缶数個が並んでいて、そこにプレス失敗したモデル部品なんかがワンサカと廃棄されてる。工員のあんちゃんが「欲しけりゃ好きなだけ持って行ってイイよ」と。。。(まさに、夢の楽園?!)もうプラモデルの”パラダイス”でしたね。(笑)思い出すと凄く懐かしい。中学2年頃までは、私の青春=プラモデルだったかな?(^^)
★最近、自宅リフォーム完了後、久しぶりにプラモ作って見たら(ハマってしまって)あっという間に玄関周りプラモだらけに!でも、今度はちゃんと”ディスプレイケース作って”飾ってますけどね。。。(笑)

ジオラマ好き

私もご多分に漏れず、プラモにハマりました。
でも苦い思い出が…
中学の頃ですね。
仲の良かった友達とジオラマ作りに熱中しました。
兵士の腕の角度を変える為にカッターを入れてパテで修復、色を塗る…
出来上がった兵士をジオラマに立たせる…と言った具合に地道に制作します。出来上がった作品?を友達と見せあったり、プラモ屋に持ち込んだり(店内に展示してくれます)
ただ終わりは呆気なかった…
ある日家に着いてすぐにプラカラーで兵士の制服を塗ってたんですが、手が滑ってプラカラーの瓶がワイシャツにドバッと…
プラカラーもそうですが、そのワイシャツは買ったばかりの新品でそのシミを落とそうとシンナーをかけて擦ると背中側にも色が染みて…どうしようも無くなってオモニに言ったら案の定、烈火の如く怒られて…その晩オモニが遅くまでタワシで擦って落とそうとしてたのを見て心底悪いと思って辞めました…😭😭
その当時裕福ではなくワイシャツ1枚買うのにも大変な時期だと解ってたので、余計に胸が痛みました。
今でもプラモのジオラマを見かけると(あまり見なくなりましたが)その時が思い出されます。
でも…楽しかったな〜

凝り性

プラモデル!
私もハマりました(・∀・)
タミヤカラーとレベルカラー全色持ってました。
大体はマッハ号、サンダーバード2号、ジェットモグラ等を経て戦車系にはしるパターン?
自分はシュビムワーゲンとか⇨ キングタイガー等 ⇨ ジオラマに少しハマり ⇨ 戦闘機系(ミグとファントム?のセットとかあった) ⇨ 戦艦系 ⇨ 帆船(ここで終了)
戦艦は砲台とか細かくて大変だったし
帆船は帆に繋ぐロープを結ぶのがしんどかった💦

小学校高学年でどハマりし中学一年位でピタッと熱が冷める
このパターンが多いみたい?

本人

そう、レベルカラーでした。タミヤのプラカラーは最初はショボかったような。オリーブドラブはドイツ軍には欠かせない色でした。コメントをいただき上には上がいるんだなぁと感心しきりです。感謝を込めてサランヘヨ、オッパ!

マッハGO!GO!GO!

国際救助隊サンダーバードは(やっぱり)2号ですよね。(笑)
そして、マッハ号!今でも憧れるその流麗なフォルム。(痺れます)
マッハ号が私の人生を決定づけた?!それで(結局)私、車屋になっちゃいましたから。24/1スケールがいつしか、1/1”リアルスケール”へ!!車屋として”ありとあらゆる事”やりまして。。。気づけばもう還暦。あっという間に感じますね~。
プラモデルは、男の子にとって手軽に夢を見させてくれる”ロマン”だったのかも知れませんね?(^^)

高1中2

懐かしい。私も小学低学年から中1までプラモデルには懲りました。
塗装のつやを消しために歯磨き粉を混ぜたり、部品を枝から切るのに専用のニッパーを買ったり、腕の角度を変えるためにガスバーナーの日で炙って腕が伸びてもげたりしました。(-_-;)
完成後は漫画本の広告にあった、1秒間に8発弾が出るとのドイツ軍のマシンガンのオモチャであるシュマイザー40で、作ったプラモデルを標的にして遊んだものです。
しかし、ある日ぴたりと止めた。
小学6年の頃、修学旅行で弟のお土産にシュビムワーゲンのプラモデルを買って、自分で作りたくて汽車の中で作ってしまった。貰った弟は箱をみて最初は喜んだものの、私が作ってしまったことを知って「な~んだ。」の一言。プラモデルは作ることに面白さが有るのだと悟り卒業しました。
次に中1の私が夢中になったのはラジオの制作。月刊「ラジオの製作」を毎号買って、ゲルマニウムラジオ、4石ラジオ、高1中2などハンダごてやエッジング液などで基板もエッジングして作りました。
真空管の球が暖まった後しばらくして聞こえてくるアナウンサーの雑音の無い生々しい音を今でも良く覚えています。ちなみに高1中2とは高周波1段、中周波2段増幅という意味です。
プラモデルで唯一今も再度作ってみたいと思うのは”清水寺”です。これだけは完成品がお気に入りだった。
あと、マッハ号の走行途中に車体の下からレバーが出て車体が中に浮くギミックなんかも懐かしい。

凝り性

ラジオ製作の道、私も通りました(・∀・)
小学高学年の頃から「子供の科学」を愛読、
「ラジオの製作」も読んでましたね、図書館で…
初めて作ったゲルマラジオは強烈に覚えているけど
あとは何作ったか覚えてないや…
秋葉原ガード下の電子パーツの匂いと
ハンダの焼ける独特なにおいが懐かしい…

現在コメントは受け付けておりません。