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クリスタル・ケイの母シンシア、日本ではなく“韓国”に帰化した理由「私は親族の中でも血が濃い」

在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。17歳のとき家を飛び出し、横須賀で海軍のトニーと恋に落ちた。ある日、彼の帰国が決まり、「アメリカで結婚しよう」と求婚された。


彼を追いかけアメリカに向けて

「トニーは『向こうでまた会おうね』と言って、ひと足先にアメリカに帰っていきました。私はアメリカ行きの準備が整い次第、トニーを追いかけることになっていました。

アメリカに行くとなると、私はまずパスポートを取得しなければなりません。私の父は朝鮮籍で、私も当時は朝鮮籍のままでした。朝鮮籍ではアメリカへは行けません。なので、パスポートを取得するために韓国に帰化しなければならない。恐る恐る父に相談すると、

自分はまだ親が北朝鮮で生きているから、帰化はしない。でももう、おまえはいいよ』と、思いがけずあっさり許してくれた。これで胸を張って帰化の準備に取りかかれます。

当時、日本への帰化も考えましたが、申請の手続きが大変で、膨大な書類を用意する必要がありました。私ひとりで日本に帰化するのは現実的ではなかった。

私の一番の目的はパスポートの取得で、それが手早く叶うのが韓国籍のほうだった。もちろん根底には民族意識もあったと思います。私は親族のなかでも『血が濃い』と言われ、私自身それは常々感じています

折良く在日本大韓民国民団が母国訪問フェアを開催しており、参加を決めた。民団主催のツアーで韓国を訪れ、19歳の冬、生まれて初めて母国の土を踏んだ。

パスポート取得のため韓国へ帰化することに

「金浦国際空港からバスに乗り込み、まず観光地を巡りました。ツアーは3泊4日で、参加者はバス1台分くらいいたでしょうか。みんな韓国への帰化が主な目的。あのときはまだソウルオリンピックの開催前で、インフラが整う前のこと。

準備がすごく遅れているな、というのが母国の第一印象だった。高速道路は完成されておらず、主要道路も真ん中だけがコンクリートで、両端は盛り土のままになっていました。建設中のオリンピック競技場、国会議事堂をバスで巡り、ソウルに1晩泊まって、さらに慶州へと南下していきました。

『板門店には行けないのか?』と誰かが聞いていたけれど、

『今は情勢がよくないので行けません』との返事だった。みんなと行動を共にしたのはそこまでで、釜山で解散となり、それぞれ戸籍謄本を取りに向かっています」

シンシアのルーツは朝鮮半島の南西部・晋州にあり、祖父母の代で日本に渡ってきた。パスポートを取得するには、まず本籍地のある晋州へ行き、戸籍謄本を手に入れる必要がある。

「釜山駅の真ん前に、六角形の観光案内所がぽつんとありました。そこで、『晋州に行きたいんだけど』と伝えたら、『ここからバスで1時間半くらいかかる』と言う。雪の降る寒い日で、すでに夕刻近くになっていた。

成人式でのチョゴリ

案内所のおばさんが、『あんたひとりで今から晋州に行くのは無理だから、かわりにお巡りさんに戸籍謄本を取ってきてもらってあげる』

と親切に世話してくれました。結局その夜はひとりで近くのホテルに泊まり、翌日出直すことになりました」(次回に続く)

週刊女性2023年5月2日号

1 COMMENT

親御さんは大変だけど、、、

すごい行動力だけど、好き勝手に生きた人生だったんだね~
そして幸せになれるんだったら、他人がとやかく言うことも無いもんね~

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